スタッフ「テツ」の自然体験記

かごしまカヤックス、『海から桜島』『サンセット』ツアーを担当しているスタッフ「浦 哲郎」です!
ここでは、私がどんな人間なのかを少し自己紹介させていただこうと思います!

浦 哲郎  ーTetsuro Ura-
福岡県 糸島市出身

日本セーフティパドリング協会(JSPA)公認 アドバンストインストラクター

自然豊かな糸島で高校生の頃まで過ごし、釣りや登山などさまざまな形で自然と触れ合う。
中学を卒業すると電車で片道2時間の福岡水産高校へ進学。釣竿を担いで通学し、海漬けの青春を延長すべく鹿児島大学水産学部に進学。

高校・大学ともに海洋生物や海洋環境に関する勉学やヨット競技に打ち込む。
大学在学中新型コロナでヨット競技ができない中、海での新たな視点を求めシーカヤックの世界へ。
大学4年生後半から本格的にカヤックガイドの道を歩み始める。

普段はカヤックにとどまらず、サイクリングやトレッキングも楽しみ、様々な形で自然を楽しみ
尽くす。

ー遠征実績ー
・2021年 8月 カヤック 鹿児島市内⇄指宿市長崎鼻 往復
・2022年 6月 カヤック 北海道知床半島 羅臼→ウトロ 周回
・2022年 10月 カヤック 鹿児島県長島⇄熊本県天草下島 往復
・2023年 2月 サイクリング 鹿児島市内→宮崎市

ざっくりとお話をすればこんな人間です。
ですが私が送ってきた「自然と共にある青春」「海の上の青春」もせっかくなので紹介していこうと
思います。

1.山の中の一軒家

私の実家は山の中の一軒家。
でも海にも自転車で10分ほどの距離ととても自然に恵まれた環境で育ちました。
冬は家族で山に入っては薪拾い。小学生の頃には小斧を持って薪割りも日常的にやっていました。
そして年中釣り好きな兄の影響を受けて海釣りへ。
地元糸島の豊かな自然を幼少期から生活の一部として楽しむ日々。

小学校高学年になると、これまた兄の影響で登山にも目覚めます。
親戚にも本格的に山に登る方がいたので、毎年年末年始には大分・九重山や由布岳などの山に登る
など、幼少期から山も海も大好きなわんぱく小僧でした。

2.海の上の青春

中学校に上がり、少しずつ進路について考え始める時期。
正直普通高校には興味がなく、割と本気で釣りの専門学校への進学を考えていました。
ところが、中学校の先生から「水産高校」なる進路があるとの情報を聞きます。
海か山であれば海の方が好きだった私。
でも周りからの水産高校の印象は決していいものではなく、当時はネットで検索しても
学校名を入力するだけで予測欄には何やらいい雰囲気ではない感じの情報。

それでもここでしか学べないこともたくさんある!
海のことを、海の生き物のことを学びたいと水産高校へ進学。

ここで私の活動場所が海上へと広がり、海の上の青春が始まります。
今でこそカヤックに乗って海を楽しんでいますが、元々はカヤックではなく「ディンギー」という小型の競技ヨットから私にとっての海の上の世界は始まりました。
入学当初は地元で所属していた「フラッグフットボール」というスポーツに集中しようと思っていましたが、一応水産っぽい部活の見学に行こうとセーリング部の体験に。そこで初めて乗るヨットは私が想像していたものとは全くの別物。
帆に・船に風を受け、全身で船をコントロールしながら自然の力を利用して進む。場合によってはうまくコントロールができず落水や転覆・横転も簡単にしてしまう。私自身も先輩が乗っている船から初ヨットで落水しました。
ですが、それが私が海の上の世界にのめり込むきっかけになったのです。海に落ち、少しびっくり状態で海上に漂いながらも、自然と共存しながら船を走らせるこの乗り物を肌で体感したこの瞬間。レスキュー艇の先生から「レスキュー艇に戻るか?」と聞かれましたが、私の答えはNO。そのままヨットに乗せてもらい、気づけば高校3年間、海に出ない日の方が少ない高校生活になっていました。

また、高校在学中はヨットだけでなく、海の生き物や海洋環境に関する学科での勉学にも励んでいました。
電車で片道2時間の通学路。時には満員電車に釣竿を担いで通学。授業では釣りをしたり、授業で
ウナギの稚魚を採りに行ったり、課題研究(大学でいう卒論)で生物調査をしたり。
ちなみに、私の高校では2年次から学科配属が行われますが、学科が分かれて最初の実習は巨大な屋外水槽の掃除でした(笑)

こうした高校での生活を送る中で、もっと海の世界を深掘りしたいと思い大学進学を決意。
AO入試で全国に3つしかない国立大学の水産学部の一つ、鹿児島大学水産学部へと進学します。
ここでも海の生き物に関する学科に所属し、4年次には海藻に関わる研究室に配属。卒論でもヒジキの成長をテーマにした内容の研究を行います。

この頃は海の上だけでなく、水中も頑張っていました!

3.転機 

そんな大学生活の中で、私にとって大きな転機が訪れます。この転機がなければ、今の私はないかもしれません。
きっかけは世界中を混乱に陥れた「新型コロナウイルス」。
当時私は、部員減少により廃部寸前だったヨット部の再建に尽力していましたが、いい流れに乗り
始めた始めたタイミングで活動はほぼストップ。海の上の世界を奪われたタイミングになりました。
それ以外のことも全てがうまくいかず、ただただ悶々とした日々の中。今までなら迷わずヨットに
乗りに行っていたもののそれもできない。
そんな中、帰省中に家族と釣りにいた時、そこの景色を見てふとあることを思います。
「あの岬の裏はどんな景色なんだろう」
何気なく見ていた景色。でもそこから見える景色はほんの一部分。あの景色の裏側を見に行くには海に出るしかない。
でもヨットはないし、なんなら当時ヨットバカの自分が本気でヨットを辞めるという選択肢も
ありました。
そこでたまたま思い浮かんだのがカヤックでした。
カヤックならヨットほど維持管理も困らないし手軽に海に出られる。
ヨットで培ってきた技術や知識もカヤックに生きることはわかっていました。
そんなこんなで貯金とコロナの給付金でカヤックを購入し、私のカヤックライフが始まりました。

4.カヤックガイドの道へ

こうして始まったカヤック生活は、最終的に私の進路活動へと繋がりました。
在学中、進路について考えていたことは大きく二つ。
「環境教育や環境活動に携われること」「アウトドアスポーツに関連すること」
ですがこれができる仕事はそうなかなかありません。
そんな中、カヤックガイドなる人々がいることに気づきます。
ヨットで海の面白さを伝えるには難易度が高い。けどカヤックなら・・・
カヤックガイドであれば自分が今まで学んできたことも生かせるし、お世話になった地域にも貢献
できるかもしれない。
と大学の勉学やヨット競技と並行して本格的にカヤックの修行を始めます。
最初は山口県のインストラクターの元で2泊3日、合宿形式での修行を組んでもらい、そこからは帰省
する度に地元の海でトレーニング。

その後実家のカヤックを鹿児島に移し、鹿児島でのトレーニングも開始。
これとほぼ同時期に我らがかごしまカヤックスの代表 野元さんと出逢います。
カヤックガイドとして活動したいもののどうすればいいのか。その情報収集の中で野元さんと出逢い、現在のようにかごしまカヤックスのスタッフとして活動させていただく運びになりました。
2022年夏までは通常ツアーに野元さんに同行してもらいながら学び、秋頃からは基本ソロでのガイド
として活動しています。

おわりに

こんな感じで現在の私があります。
幼少期から自然との触れ合いが日常、そのまま今に至り、それが学びや仕事にもつながる。
根っからの自然オタクです(笑)
2023年現在、鹿児島に来て6年目。鹿児島の土地のこともまだまだ知らないことがたくさんあります。
いまだに鹿児島の方言にも苦戦しています。
その分ツアー内外で新しい鹿児島の魅力が見つかるのでいつもワクワク!
ツアー中もゲストからの一声で「こんな面白さもあったのか!」と新しい発見がどんどん出てくる!
それが面白いからカヤックガイドはやめられません!
みなさんが鹿児島に来られた際にも、鹿児島・桜島のまだ見ぬ魅力を、一緒に探しに行きましょう!!