Transcontinental
in
From PERTH to Sydney
2009年10月27日〜2010年1月14日
報告書
◎旅を終えて
23歳のときに勢いと情熱だけで挑戦したオーストラリア自転車横断だったが小さなトラブルを言い訳に逃げ帰った。
自分の弱さを隠すために言い訳をしながら生きていた時代があった。
いつかはけじめを付けねばならないと思いつつ30年が過ぎた。
50歳を超えて「今やらねば」と思い旅立った。
この挑戦は海外の自転車の旅とすればありふれたものだし、記録や人と比較するものではない。
それでも今までの自分と、これからの自分のために挑戦したかった。
何が20代の自分に足りなかったかは理解しているし今も十分だとは思わない。
でも今の自分の能力を使い、心のコントロールができたら走りきれると思っていた。
そしてほぼ予定通りに走りきれた。
この旅を終えて長く背負っていた古いザックを下ろしたような気持ちだ。
そして新しいスタートを切ることができる。
やはりいつかはやらねばならない事だった。
今回の旅に協力していただいた方々、そして支えていただいた家族と友人たちに心から感謝します。
◎データー
走行距離 約5200km
総日数 79日間
走行日数 55日間
最高気温 50℃
最低気温 15℃
最高到達点 標高2228m
磨り潰したタイヤ 5本
パンク 1回
総費用 約80万円
飲んだビール量 不明
Perth シティビーチ ユーカリの森でのキャンプ
轢かれていたカンガルー 巨大なロードトレイン
◎旅のレポート
○Perth〜Norseman(800km)
Perthのシティビーチはギラギラとした日差しが降り注いでいる。
海上は南からの強い風で大きな白波が立っていた。
波打ち際に行きインド洋に手を浸ける。冷たさが気持ちを引き締める。
いよいよ広大なオーストラリア大陸を横断し、約5000kmの彼方にあるSydneyのBondi Beachを目指す旅の始まりだ。
Perth市街地を抜け、郊外のダーリング山脈の登りに入る。
山脈といっても標高1000mにも満たないが、旅の始まりなのでペダルが重い。
山中にある小さなMundaringを過ぎたユーカリの森の中で初日のキャンプ。
2日目から強い向かい風が吹きまくる。
牧場地帯が続き、風をさえぎるものがないのでもろに全身で風を受けるので速度が上がらず、平地でも登り用の軽いギアを踏まないと進まない。
それにまだ体が自転車の旅に慣れていないので辛い。
3日目頃に訪れる最初の体と心の落ち込みがある。
それをいかに乗り越えるかが最初の関門だ。
キャラバンパーク(キャンプ場)やモーテルに泊まりながらひたすら東を目指す。
本来ならすべてキャンプにして予算を低く抑えたいが、何しろ暑い。
それに治安はけっしてよくない国なのでトラブルを避けるためにも有料キャラバンパークやモーテルなどの施設を利用する。
SouthernCrossを過ぎると牧場地帯が終わり、ユーカリの原野が広がりだした。
数十キロおきに見えていた人家も見えなくなり気温も更に上がりだす。
十分足りるだろうと積んでいた水が不足しだす。
途中のレストエリアのトイレで補給しようとしたが水はなかった。
気温35度の日差しの中を走るが、ただただユーカリの森が左右に広がり、道は緩やかな登り下りを繰り返している。
水を節約しながら160km走ったBullabullingに一軒だけのガソリンスタンドとモーテル兼用の店があった。
店に飛び込みビールで喉を潤す。もちろんステーキも注文する。
すぐ横がFreeのキャンプ場なので一人静かに過ごす。
暗くなると数台の車がバーに入ってゆく。
何もないようでも人は住んでいるのだ。
ゴールドラッシュで栄えたCoolgardieで古い建物や横目に南下する。
大量のハエがまとわりつくのはオーストラリアでは仕方がないことだが、ここらからはアブがまとわりつき、体を刺してゆくのでたまらない。
スピードを上げて振り払おうとするのだがアブのほうがはるかに早く、しかも背中に止まり風を避けながら体を刺すのでたまらない。
手で振り払いながら走るしかない。
Perthを出て8日目。約800km走りNorsemanに到着した。
ここから西はナラボー平原がはじまる。
文明社会はここまでで、ここより西はアウトバック(原野)が始まるのだ。
難所を前に英気を養う。
○Norseman〜Ceduna(1.200km)
Norsemanでナラボーの情報と食料をそろえ、いよいよアウトバックへと走り出す。
今までも道路上には車にはねられたカンガルーやウォンバット、トカゲなどの死骸が散乱しているが、ナラボーに入るとその数が更に増える。
遠くからでも臭いが漂い、視界の届く限り死骸が点々と続いている。
散らばった内臓や骨。そして千切れた頭部などをよけながら走るのは気持ちのいいものではない。
ロードトレインと呼ばれる超ド級トレーラーがすぐ横を制限時速の時速110kmでかっ飛ばしてゆく。
路肩は舗装していないので走行車線を走ることになり風圧をまともに受ける。
車が来ると風圧で吹き飛ばされそうになる。そこで変に粘ると真横にトレーラーが来たときに吸い込まれる。
数回、自ら路肩に飛び出して接触を避けた。
対向車がいないときは反対車線によける車もいるが、そのまま突っ走る車も少なくない。
その後もシドニーにゴールするまで車には悩まされた。
オーストラリアは自転車に対してやさしい国とはとても言えない。
気温はどんどん上がり、40℃を超えた。
多めに持っていたはずの水がまたもや足りなくなる。
脱水で頭がぼ〜っとしてくるが走らないとたどり着けない。
ついにFraserRangeStationの手前で水が切れた。
ここからのわずか5kmが渇きとの戦いだ。
頭痛がはじまり、意識がだんだん遠ざかって行く。幻覚を見、フラフラになりながらもなんとかFraserRangeStationにたどり着いた。
レンジャーステーションの日陰で水を飲みながら時々塩をなめる。2時間ほど休ませてもらった。
ナラボー3日目にオーストラリアで一番長い直線道路「90mail Straight」146.6kmの直線の道がはじまる。
地平線の彼方まで道がまっすぐ伸びているのだ。
車やバイクなら1時間ちょっとで到着するが自転車だとがんばって1日。通常2日の距離だ。しかも前日は雷と竜巻が発生していたので緊張する。
なにしろ雷などを避ける高い木が何もなくなるステップ砂漠だ。
低木の中に入り込むにも毒蛇と毒クモ。そしてサソリがウロチョロしているブッシュに入り込む勇気はない。
だが心配をよそに天気は回復した。
その代わりに強烈な日差しが降り注ぎ、熱風が吹いてきた。
気温は50℃近くまで上昇し、体中の水分を乾燥させてゆく。
まるで巨大なドライヤーに当てられているようだ。息をするたびに喉の奥まで乾燥しているように感じるし,汗も流れず、そのまま乾燥してゆく。
それでも走るしかない。
途中にあるはずの雨水を貯めるウォータータンクは無く、この日140km走り、やっとたどり着いた2つ目のウォータータンクは渇水で空っぽだった。
ここは巨大な日陰があるのでキャンプの予定だったが、水がないと明日の行動ができない。
次の水が得られるロードハウスまで40km以上ある。しかも気温は50℃。
しばらく呆然とするが気を取り直して気温が少し下がるまで昼寝をして過ごす。
大量のハエがたかるので、頭からはネットをかぶり、足は長ズボンを履く。
キャンピングカーで旅をしている老夫婦が水を分けてくれたが走る気持ちになっているので自転車を漕ぎ出す。
夕暮れ前によろよろとCalaunaのロードハウスにたどり着いた。
Norsemanを出て500kmほどの地点で下り坂が現れた。
高度は50mほどしか下がらないがそれでも下り坂だ。
平地が続くと楽に感じるが常に同じポジションを強いられるので痛い箇所が出てくる。
手のひら、腰、尻などの一部だけが圧迫を受けて痛いので多少の登り下りがあったほうが楽だ。
坂の途中でサイクリストと出会った。
私とは逆方向に西に向かっているオーストラリア人の2人連れ。
情報を交換し合って別れる。
その後、約100kmの平地を走り登り坂が現れた。
通常は自転車の登りは辛いはずだが、このときは平地に飽きていたので嬉しかった。
しかも振り返ると南氷洋が広がっていたのだ。
オーストラリアは広大な大陸なの同じ州でもかなり時差がある。
できる限り涼しい時間に距離を稼ぎたいので起きるのが午前3時ごろで、4時には走り出している。
ぎりぎりヘッドライトを点けずに走れる時間だ。
早朝に走っていると道路上にカンガルーがいた。私に気づきはねながら遠ざかってゆく。
その飛翔する姿が美しい。
しばらく行くとガサガサと大きな音がした。振り返ると巨大な鳥エミューだ。
撮影しようとカメラを取り出していたらこちらに向かってくる。頭を持ち上げると私の背よりも大きい。距離は10mほどだ。
いままで自分の背丈よりおおきな鳥に迫られた経験がない。
自転車にまたがり逃げ出す。エミューが襲ってくるわけではないと思うが怖い。
西オーストラリア州から南オーストラリア州に入ると標識やゴミ箱。レストエリアなどが変化したが、なによりカンガルーなどの死骸が道の上には極端に少なくなった。
常に掃除しているのだろう。
風が南からの風になり気温が下がり走りやすくなった。
オーストラリア大陸の南側を走っているので北がらみの風になれば砂漠の熱風がやってきて暑くなり、南がらみだと南氷洋の冷たい風で気温が下がる。
できたら西南西の風だと涼しい追い風なので助かるのだが、こればかりは自然相手まかせなのでどうしようもない。
ナラボー平原も半分を過ぎたがまだ600km以上ある。
ともかく毎日ペダルを漕ぐしかない。
早朝に出発。地平線から昇る朝日を目指してひたすら東を目指す。
走っていると車を止めて「水はあるか」と声をかけてくれる人もいる。
とても嬉しい。中には食料をくれる人もいる。
気さくなオージー(オ−ストラリア人)達だ。
同じ旅人同士だし、この地域を自転車で走る人はやはり特別なので助けてくれるのだろう。
Nundrooを過ぎると少しづつ登り下りが始まりだした。
回りの木もだんだん大きくなり明らかにステップ砂漠地帯が終わりつつあるのを感じる。
ナラボー最後のオアシスPenongに到着。とても小さいが町の形態をなしていた。
ホテルや店があり、食事も選べるし物価も下がりだした。
今まではいわゆるナラボー価格で高く、ハンバーガーも$10を超えているところもあった。
ここだとビールも安く心置きなく飲める。
海岸の町Cedunaに到着。
長くて辛いナラボー平原の横断が終わったのだ。
思わずガッツポーズがでる。
キャラバンパークのキャビンを借りてスーパーマーケットで食材を購入。さらにこの町はオイスターシティを宣言しているのでオイスターを購入。ビールも大量に買い込みナラボー完走を祝った。
南氷洋に手を浸した。やはり感無量だ。
このはるか南に南極大陸があると思うとワクワクしてくる。
まだユーカリの木々が見える 日本では考えられない距離表示だ
地平線を目指して走る 146.6kmの直線道路
道路が緊急用の滑走路になる ラクダ、エミュー、カンガルー注意の標識
雨水をためるウォータータンク 出会ったサイクリスト
久しぶりの下り坂 朝日に向かって走る
前も後ろもすべて地平線 南氷洋が見えてきた
○Ceduna〜Adelaid(850km)
Cedunaを後にして巨大なEyre半島の横断に入る。
町を出たところで「Real Coffee 200km」の看板があった。笑ってしまう。
すべてがこの距離感だ。
ナラボー平原でも数箇所、道路が飛行機の緊急用滑走路になっていた。とにかくでかい大陸だ。
はてしなくでかい牧場地帯が続くEyre半島をどんどん漕ぎ進む。
鉱山の小さな町Kinbaを過ぎたところで長さ1.5mほどの蛇がいた。
後で調べたら猛毒のKing Brown Snakeだった。
オーストラリアには世界で一番毒の強いTaipansやTiger Snakeが生息している。
他にも猛毒のRed-back SpiderやScorpionがいるので気をつけねばならない。
野生の犬の仲間のDingoesに子供が襲われて死亡した事故も発生している。
Port Augustaまでは強い追い風とる食い下り坂だったので平均時速40kmほどでカッ飛ばす。
だがあまりに強い強風で砂が舞い上がりPort Augustaの上空は全体が赤く染まっていた。
Port Augustaは都会だ。何でもあるが、アウトバックになじんでいたので少し面食らう。
インフォメーションセンターで安いモーテルを紹介してもらい、そして久しぶりの買い物を楽しむ。
夕方近く電話をかけに橋を渡っていたらアボリジニの男3人に絡まれた。
誰でもわかる汚い言葉で罵り、私にちょっかいを出そうとしている。
私は英語をまったく喋らずひたすら無視する。
何とかそれ以上の事にはならなかったがとても嫌な思いをした。
Adelaidまでは数十キロ単位で町があるので今までとは違い、気楽なサイクリングだ。
風景も海が見え、川や緑の山など変化にとんで楽しい。
そして人口50万都市のAdelaidにたどり着いた。
200km走ればコーヒーが飲める King Brown Snake
ピンク色の湖 赤い大地でのキャンプ
○Adelaid〜Melbourune(1100km)
Adelaidのバックパッカーではワーキングホリデーで渡豪している日本人と仲良くなり、楽しい思いをさせいいただいた。
やはり日本語で思い切り話せるのは心が開放されて気持ちがいいしホッとする。
楽しい日々が続いた分、旅立ちの日はさびしかった。
Adelaidの引力を振り払うように街の東側にそびえるEagle on the Hillを駆け登り、西へ西へと走る。
調子に乗り走っていたらいつの間にかFreeWayに入り込んでしまった。
「ヤバイ。早く出ないと」と思っていたら聞きなれた嫌な警告音がしてパトカーに止められた。
違反切符は切られたけど罰金は無し。
警察官はこれからのルートを紙に書いて教えてくれた。
お昼ごはんにと香ちゃんが作ってくれたオニギリを食べると楽しかったAdelaidの日々を思い出す。
ありがとう。みんな。
なだらかな丘陵地帯が続き、ワイナリーが広がる。
すばらしい景色だ。
更に東へ東へと漕ぐ。
いつもはUV仕様の長袖シャツで走っている。
1日だけ半袖のシャツで走ったが、腕が日焼けで水ぶくれになってしまった。
やはり紫外線の量が日本よりかなり多い。
小さなNaracoorteの町で散策していたらクラクションをけたたましく鳴らし、笑いながら車が反対車線を歩いていた私に突っ込んできた。
直前ですぐ横の民家の庭に逃げ込んだから助かったがあきらかに私を狙っている。
嫌な予感がしたのですぐにキャラバンパークに引き返すが車はUターンしてもう一度狙ってきた。
今度も直前でかわすが空き缶をぶつけられた。
車が入れないような路地を抜けてキャラバンパークに帰った。
オーストラリアはマリファナや薬物がかなり蔓延しているようだ。
様々な宿泊施設ではマリファナらしき臭いが漂い、トイレには黄色い注射器を入れるBoxが設置されている。
あの車の連中も薬物を使用している最中だったのかもしれない。
Port Augustaのアボリジニといい、くやしくて残念だ。
そんな奴らの気まぐれに今回の旅を邪魔されてたまるか。
その程度で落ち込んで止めるような軽い気持ちで走っているのではない。
MtGambierでは雄大な火口湖を眺め、すごいなぁと写真を撮りつつも火山の規模、内容で行けば我が郷土の霧島のほうがはるかにすごいなと思う。
ビクトリア州に入ったとたんに景色が一変した。
まるで日本の高原地帯を走っているような落ち着いた雰囲気になる。
植生も杉やシダ類が中心となりなんとなく落ち着く。
Heywoodでハンバーガーでも食べようかなと自転車を止めていたら品のいいお婆さんから声をかけられた。
私たちと一緒に食事をしないかとの事。
なんかとても雰囲気がいいのでご一緒させていただく。
3姉妹はミサの帰りでCaféでお茶をしようとしていたときに私を見かけて声をかけたそうだ。
私の片言英会話にも興味を持って会話をしてくださった。
ランチとラテをご馳走になる。
やはり気持ちのいい出会いがあれば気持ちがほぐれてゆく。
今更ながらだが、どこの国の人ではなく、その人はどうなのかが大切だ。
ビクトリア州最大の名所Great Ocean Roadへ入る。
美しい海岸線が侵食されて素晴らしい断崖とアーチ、柱状の奇岩が続く。
スケールもでかい。
だがどこかで見た景色だと思ったら我が鹿児島県の種子島にある熊野海岸に似ている。
十数年前までは2連アーチだったが、片方が落ちたロンドンブリッジや、11人の使徒などオーストラリアの観光パンフには必ず載るような名所を見て回る。
この旅で一番サイクリングをしていた楽しかったエリアだ。
登り下りもそれなりにあるのだが、それさえも楽しかった。
サーフィンのメッカTorquayを経てMelbouruneに入る。
Melbouruneでは22歳のときに北海道をサイクリングしていたときに出会った友人の大谷さんと約30年ぶりの再会を果たす。
彼女は当時でも珍しい1年がかりの単独日本1周の最中だった。
その後、オーストラリア大陸横断やチベット方面のサイクリングも果たした猛者(失礼)だ。
今は結婚されてMelbouruneでお寿司屋さんをされている。
本当の仲間は時がたってもあの頃のままで話ができる。
数日間だがご主人ともども懐かしく、楽しい日々を過ごさせていただく。
Adelaidバックパッカーの仲間 MtGambierのBlue Lake
ランチをご一緒した3姉妹 ロンドンブリッジ
コアラ注意? 11人の使徒
○Melbourune〜Sydney(1.200km)
さあ、いよいよ最後のステージだ。
懐かしかったMelbouruneを後にして走り出す。
街を離れるといつもの牧場地帯へ入る。
所々で大谷さんからいただいたオニギリを頂きながらオーストラリアの風景を楽しむ。
途中から自転車が走れるFree Wayに乗る。
Free Wayは路肩も広く、一般道を走るよりもはるかに安全だし、車が巻き起こす風が押してくれるので楽だ。
どんどん距離を稼げる。
時々、Free Wayから外れて小さな街で食事と休憩をしつつ、Sydneyへの距離が縮んで行くのを楽しみに走る。
Seymourのキャラバンパークで片足の不自由なサイクリストに会った。
彼は片足が動かないが3輪式の自転車を使い長期の旅をしている。
ビルディングシステムのシューズを使える足に履き、専用のペダルを使用すると片足でも360度クランクを回せる。
荷物は自転車後部とトレーラーに載せて移動する。
トレーラーにはキャンプ用具一式の他に車椅子も載せられていた。
彼は最長で1日160kmも走ったと言っていた。
「かなりバテたよ」と笑いながら話していたが、すごい奴だ。
自分に無いものを悲観するのではなく、今ある能力を把握して、やりたい事を叶えるためには何をすればいいのかを考え実行する。
そうすれば以外にできることはたくさんあるものだ。
年末が近づいてきた。
ここで悩む。
一気にSydneyまで走りNew year Fireを見るか。それともSnowy Mountainsにあるオーストラリア最高峰のMt Kosciuszko(2228m)に登り、インド洋から最高峰に登り、太平洋までのSea to Summit to Seaを達成するかだ。
考えた挙句、オーストラリアの自然と達成感を満喫したいので最高峰を目指すことにした。
Free Way M31から外れ、山岳地帯に向かう。
今までの地平線やなだらかな丘陵地帯から一変して激しい登り下りが始まる。
ともかく勾配がきつい。
平地用に自転車のギアを設定していたので全力で漕がないと登らないのだ。
下りも同じように激しいので気をつけないと時速80kmを超えそうになる。
この速度で転倒したらとんでもないことになるのでブレーキが焼けないように気をつけながら下だる。
それでも最高速度は時速78kmに達した。
クリスマスは最後の人家があるKhancbanで過ごした。
少しはクリスマスらしい事が見られるのかなと思ったが家に篭ってクリスマスを祝っているようだ。
雨の集落を歩いてみたが誰とも出会えなかった。
モーテルに戻りIpodで山下達郎の「クリスマスイブ」を聞くが暖かいクリスマスはやはり雰囲気が出ない。
Dead Horse Gap(1582m)への最後の登りは本当にきつかった。
急斜面の上、ハエがまとわりつく。
ネットを頭からかぶり、1kmごとに休憩しながら登りきった。
タイヤがグリップする限り自転車から降りて押さない。これが自分なりの美学だと思っている。
頂上では感激の雄たけびを上げたぜ。
この日は合計で2500mも登った事になる。
Mt Kosciuszkoへ登頂。
ここへの登山道はあまりに整備されていてリフトを使えばベビーカーを押したままで登頂できる。
確かに誰でも登れていいのだけど、なんだか釈然としない。
ある程度は困難があり、それらを克服してこその山だと思うのだが。
湖畔の町Jindabyneでウロウロしていたらモンベルのファルトカヤックを積んだ車が駐車していた。
持ち主もモンベルの服を着ている。
もしやと思い声をかけたらやはり日本人だった。
Melbouruneに赴任している有馬さんご夫婦だ。
話をしているうちに私の事もご存知で嬉しかった。
久しぶりの日本語でホッとする。
年越しはCanberraだった。
街中が大騒ぎでコンサートも行われていた。
ただし露天はカフェのみ。
路上でのアルコールはご法度のようだ。
だが隠れて飲んでいるし、この異常なテンションは酒とそれ以外の物も使用しているだろう。
皆ではないが正気とは思えない人もかなりいる。
カウントダウンで最高潮になり新年を迎えるとNew year Fireが打ちあがった。
つい「今のは一尺玉だ」と思っている自分が面白かった。
やはり日本人だ。
YHに帰り、日本人を見つけて「明けましておめでとうございます」と言い、やっと新年を迎えた気がした。
Mittagongで最後の夜を迎えている。
長い旅だった。
明日でこの長い旅が終わる。
いつもだが最後の夜は早く日本に帰りたい気持ちと、終わってしまう寂しさが交錯する。
よくがんばったと思う。
この旅は一番になるとか、人と比較するとか、何時までにとか無縁な事だ。
あくまでも自分の内面的な挑戦だ。
30年前の弱い自分が置いてきてしまった忘れ物を取りに行く旅。
その忘れ物はとっくに判っている。
それは30年前に不安、きつさ、孤独感から逃げ出した自分の弱い心だ。
今でもどんな旅でもそんな心は湧き上がる。
だがそれを心の中にしまいこんで自分の夢に向かって進むしかない。
スタートして64日目。
Sydneyに向かって走る。
ぼんやりとハーバーブリッジが見えてきた。
あと少しだ。
そして昼過ぎにオペラハウスに到着。
そして最終目的地のBondi Beachに到着。太平洋が眩しい。
テレマークスキー仲間の重ちゃんが仲間の寄せ書きと共に出迎えてくれた。
ありがとう皆。
裸足になり太平洋に浸かる。
海の水の冷たさがこの長い旅の終わりを実感させてくれた。
片足が不自由でも自転車の旅はできる ハエがうざいのでネットをかぶり登る
Snowy Mountainsで見かけたカンガルー すばらしい景観のキャンプサイト
Canberraの噴水 ガスで何も見えないMt Kosciuszko
Sydneyのハーバーブリッジ 最終ゴールのBondi Beach