ベーリング海シーカヤック遠征
1998年6月
ノーム〜ウエールズ(アラスカ)

メンバー 河野兵市 野元尚巳

期間       1998年6月14日〜19日
コース      USA アラスカ州 ノーム〜ウェールズ約230km
メンバー     河野兵市  野元尚巳
使用艇      河野 ダガー アポストル / 野元 プリヨン シーヤック
コンディション  水温0〜5℃  気温3〜20℃


3週間+3日の食料は40kgほどになった

6月14日 晴 気温3〜15℃ ノーム〜シヌック      距離43km
 べっとりと朝露が降りていた。いよいよ今日からカヤッキングの始まりだ。
 マカロニをゲップが出るほど喰ったあと、パッキングに入る。
 あれこれと時間がかかり、起きてから二時間半。やっと漕ぎ出す。
 やはり夏間近とはいえベーリングの海は冷たい。ぜったいこの海では沈したくないよな。 実は我々は前日トレーニングとして、数百m漕いだだけである。私にいたっては「ラダーの調子が悪い。」などと言い訳をし、たった数十m漕いだだけで上陸してしまった。
 こんなんで大丈夫かいな。しかし、はじめこそふらふらしたが、一時間も漕げばそれなりに船になじみ、体も温かくなってきた。
 休息のために上陸した浜に、カリブーの足跡と熊の足跡があった、しかもでかい。
 アンカレッジでジャックさんのアドバイスを思いだしカヤックに走る。
 「いいかい野元さん。22口径のスライドアクションのライフルを使い、散弾と実弾を交互に入れ2発撃つ。そして様子を見て、次に備える。」
 しかし考えてみれば、はじめからライフルは持っていない。そこで熊よけのスプレーを取り出す。
 だが、このペッパースプレーもノームのスポーツ店でディスカウントで購入したものだ。 
「ひょっとしてコカコーラライトみたいに味が薄いかもしれんぞ。」と河野君。
 でも棒きれや石ころを投げるよりきっと良いはずだ。
 さっさとカヤックに乗り込み漕ぎ出す。
 遠くの山の麓にでっかいグリズリーがいた。ほんの米粒ほどの大きさにしか見えないが、緊張で喉が乾いて行くのがわかる。
 二人とも無口になった。
 pm4:00、シヌックに上陸。ここにキャンプをする。
 熊が気になりペッパースプレーを片手になかなか眠れない夜をすごす。


ベーリング海を漕ぎ進む

6月15日 曇〜晴 気温5〜20℃ シヌック〜シンクリバー  距離46km
 朝食のラーメンを喰い、霧の中を漕ぎ出す。
 波は無く風は追い風。視界のきかない海岸に沿ってただ、漕ぐ。
 ときどき北極ギツネが顔をだす。
 昼過ぎから晴れてきた。雪をかぶった山々や湿原を見ながらすすむ。
 数軒のエスキモーのフィッシュキャンプが見えてきた。そのうちの一件から数人のエスキモーが出てきて、この浜に上陸しろと指示している。久しぶりに人を見たので上陸することにする。
 小屋のなかに入れてもらい紅茶とパンをご馳走になる。今日一日寒かったのでとてもうれしい。
 彼らはここで魚を採っているとのことだが、今年はまだこれからとのこと。
 マス科の魚を玉葱とレモンペッパーで味付けし、アルミホイールにくるみ土産にくれた。
 本当は、我々はここでキャンプをするつもりだったが、話をしているうちについまだ漕ぐと言ってしまった。
 「ともかく見えなくなる所まで行こう。」と漕ぎ出した。
 一時間ほど漕いだ頃、だんだん波も高くなってきた「ここならもう見えんで〜上陸しようや。」
 外海とラグーンの間の浜にキャンプ。もらった魚をたき火で蒸し焼きにし、それとラーメン&ライスの夕食。
 食事の後海を見ていたら、鯨が二頭泳いでいった。


ラグーンの湖畔にてキャンプ
エスキモーからもらった鱒を流木で蒸し焼きにする


6月16日 晴 気温10〜20℃ シンクリバー〜コーストガード 距離50km
 今日はとても天気が良く、風も追い風。海流も進行方向、気持ちよく漕ぐ。
 2,3時間後上陸。浜の向こうにはラグーンが広がっていた。
 ここからラグーンに船を担ぎこみ、内湾に入ってのんびり行こうと思っていたのだが。ラグーンの向こうはすべて流氷で埋め尽くされていた。
 ヘらへら笑い合い、ベーリング海を漕ぎ直す。
 進行方向に、コーストガード(海上保安庁みたいなもの)のでっかいアンテナがみえるが、なかなか近づかない。だんだんバテてきだした。おまけに風も吹き出し波が高くなってきた。
 再び上陸し内湾をのぞいてみると、流氷は100mぐらいの幅で岸から離れている。
 しばらく様子を見るために歩いてみるが、行けそうな気もするし塞がっているような気もする。
 「やっぱ行ってみようぜ。だめだったら又引き返そうぜ。」
 ひきかえす気などまったくないのに同意し、カヤックから荷を降ろして内湾までの約100mぐらいを数回に分け運び、最後にカヤックを二人でオッチラオッチラ運ぶ。
 再び荷物をのせ、流氷の浮かぶ海へと漕ぎ出す。
 流氷はずっとテーラーの方まで埋め尽くしているように見える。ところどころ黒くアザラシが顔を出している。
 静かな海を不思議な気持ちで進んでいくが、コーストガードまで約2kmの所で流氷が岸まで埋め尽くしていた。進むことは不可能である。
 「危険だな〜やばいな〜。」と思いつつも海岸の流氷を越え上陸。ここでキャンプをする。 コーストガードへ情報収集と水もらいに行く。
 ここには約20名ほどの職員が一年交代で勤務しているとのこと。とてもフレンドリーで、やれジュースを飲め、クッキーを食え、チップスはいらんかなど奨めてくれる。
 色々な情報とたっぷりすぎる水をもらいキャンプ地へ。
 夜になって少しずつ流氷が岸から離れてきた。うまくいけば明日はこのまま漕げるかもしれない。


流氷に行く手を阻まれる Port Glarence

6月17日 晴 気温10〜20℃ コーストガード〜ロストリバー  距離28km
 朝起きると流氷はすべて岸から離れていた。
 いつもの様にラーメンの朝食をすませ、漕ぎ出す。
 一時間半ほど漕ぎ、岬の先っぽに上陸し偵察。海流はかなりの早さで西に流れている。
 すこしずつ西に流されながら約10km先の対岸を目指す。
 天気はよいし波もない。気持ちよく進む。
 半分ほど来たところで流氷が東側から流れてきた。もうすこし西側に進路を修正する。
 一時間40分後、対岸のラグーンの見える岸に上陸。すこし休息。そこから後は追い風と流れにのり、変わりゆく風景をながめたり。カヤックの上で食事をしながらいつもの馬鹿話をし、のんびり流されていく。


流氷と岸とのすき間を漕ぎ進む

 ロストリバーに上陸する。
 ここは昔はゴールドラッシュで栄えたのだろうが、今は朽ち果てた家があるだけである。
 廃墟をのぞいていたら古釘を踏み抜いてしまった。あとでかなり腫れてきたが、抗生剤を忘れてきたので飯を目一杯喰い、気合いで治すことにする。
 テントから数100m離れた川へ体を洗いに行く。
 ペッパースプレーを片手に久ぶりに体を洗うが、雪解け水なのでものすごく冷たい。すぐに身も〇〇〇もちじこまってしまうが、気持ちが良い。
 河野君がその後入れ替わりに川へ行ったが、少し小さくなって帰ってきた様な気がした。
 いつまでも日が沈まないのでテントの中は暑いが、外は風が冷たく寒い。体を半分外に出しながら寝る。 


海流に乗りのんびり行く河野氏(ロストリバー

6月18日 晴 気温7〜20℃ ロストリバー〜ティンシティー 距離40km
 実に良い天気だ。
 「今日は楽勝やで〜。」
 「風は追い風。流れも進行方向。」
 「今日は十分にウエールズに着けるで〜。」
 今日もベーリングの海をなめてかかる。
 断崖の海岸をすべる様に進む。パフィン、カモメ、その他の水鳥を見ながらどんどん進む。
 ヨーク岬を回った途端、とてつもない向かい風になった。
 ともかく力いっぱい漕ぎ、少しでも風の影響を受けないよう岸ぎりぎりを進む。
 ティンシティーにヘトヘトになって上陸。やっぱ、ベーリングの海をなめたらいけません。
 結局ここにキャンプをする。
 ティンシティーは10年ほど前に廃墟になった所で、今はアメリカ空軍のレーダー基地があるだけの所だ。
 トラックやら色々な機械、又、工場や家の廃墟が散らばっている。
 風はますます強くなり、とうとう砂も飛び出した。白波もかなり出てきた。
 いつのまにか寝入ってしまい、ふと目を覚ますとエスキモーの男が四人、テントの近くに座っていた。
 彼らはボートでアザラシ猟に来たが、我々のカヤックを見かけたので上陸したとのこと。
 そのうちの一人はカヤックを借りたアンカレッジの店で昔働いていた、と言っていた。
 ベルーガ(白鯨)の肉をご馳走になる。乾燥,ゆで肉、生肉とある。なかなかうまい。とくに生肉がうまかった。
 漁師(猟師)は自分たち独自の天気予報を持っているもんだ。たとえば〇〇山に雲がかかれば雨が降るなど。きっと彼らも独自の天気予報があるはずと思い、聞いてみると、「今日はテレビの天気予報を見ていないからわからない。」とのこと。「あっ…そうですか。」う〜ん、結構文化的なのね。
 「いつも何を食べているの?」
 「マイクロウエーブでチンよ。」
 「‥‥‥。」
 ちなみに我々は、ガソリンやたき火で料理をしている。
 彼らが帰った後、またまたラーメン&ライスを食べていると、アメリカ空軍の一人が「ウエルカム ティンシティー〜。」と言いながらケーキとジュースを持ってやって来た。
 彼はこの前の休暇の時、ニュージーランドでシーカヌーとサーフィンを楽しんだと言っていた。
 天気は、風はすこし弱くなるが次第に崩れてくるとの情報をもらう。
 彼のプレゼントのいかにもアメリカらしい甘すぎるケーキを、またまた甘いジュースで流し込む。あまりに甘くて頭がキーンとするが、食い物を捨てきれない我々は目を白黒させながら結局全部喰いきる。


遙かな山並みと水平線。雄大な風景である

6月19日 晴〜曇 気温5〜20℃ ティンシティー〜ウェールズ  距離13km
 風の音で目覚める。
 空は晴れているが風は相変わらずとても強い。そして海も一面白波が立っている。
 「しゃあない、飯喰って寝るか。」どうしようもない、停滞だ。
 ともかく暇なので、丘の上に見えるレーダー反射板らしき所まで行ってみることにする。
 すぐ近くに見えたが、空気が澄んでいるので結構遠い。二時間ほどかかってしまった。
 丘から北の方を見ると原野が続いており、その向こうのラグーンと、そのまた向こうのベーリング海は流氷で埋まっていた。
 とてもコッツビューまでは行けそうにない。
 少し周りを歩いていたら熊の糞を見つけたのでさっさと下る。
 河野君は岬の方へ行ったのだが、波が強くとても漕げそうにないとのこと。
 またまた飯を食っていたら四輪駆動のバイク?に乗った、一見暴走族のようなエスキモーらが四人やってきた。ライフルを持っている。
 話をしながらも棒を杖代わりにして、もしもにそなえる。
 しかし、悪い人たちではなかった。
 色々情報をくれ、少し離れた所でライフルのトレーニングをして帰って行った。
 夕方になり少しずつ風が弱くなってきた。
 「風が弱まり天気が悪くなる。」とケーキをくれた軍人が言っていた。
 食事をすませ、カヤックに荷を積み込み、風が弱くなるのを待つ。
 pm10:00。風が弱くなってきたようなので漕ぎ出す。
 風は強弱をくり返し、岬を回るたびに向きを変える。
 二人ともほとんど口をきかず漕ぎつづける。
 一時間を回った頃、目的地のウェールズの村が見えてきた。
 「やったぞ。」
 pm11:20、ウェールズに上陸。河野君と握手をかわす。
 前日アザラシの猟に来ていたエスキモーの人が迎えてくれた。


Walesで見かけたセイウチの牙

 数日後、やっと迎えの飛行機が来た。
 飛行場に向かう途中、三人+バック四個を乗せた二人乗りバギーから河野君が落ちるハプニングがあったが、ともかく帰れる。
 8人乗りの小型機のパイロットは背が非常に高く、とてもFATな女性だ。あのパワフルな河野君が両手で持ち上げるバックを片手でむんずと機内に投げ入れ「乗んな。」と、その太い首をふる。
 さっさと飛行機は滑走路の先に行き、くるっと向きをかえると「ああっ、もう少し滑走してくれ〜。」との私の思いを鼻であざ笑うかのようにあっけなく離陸した。
 離陸する瞬間パイロットの乗っている左側に少し傾いた様な気がしたのは私だけだったかもしれない。


氷河の崩壊 PRINCE WILLIAM SOUND

〔あとがき〕
 今回の我々の旅は非常に天候に恵まれ、又、風の向きにもうまく助けてもらった。流氷も都合良く流れてくれ、最後のティンシティー〜ウェールズ以外は最高の条件だったと思います。
 我々の行動そのものは思った以上に早く終わりましたが、天候が2,3日ずれていたらこれよりももっと日数がかかったと思います。
 我々が飛行機に乗れたのはウェールズに着いて四日目で、カヤックがアンカレッジに戻ってきたのは十日目でした。   
 久しぶりの海外ツーリングだったので、戸惑う事が多かったけど、河野君が、私の語学力のなさを含めて、色々とカバーしてくれ本当に感謝しています。実際、カヤックのレンタルの交渉や輸送、又、海流当の地域データーなど、私一人だけだと、かなり手こずった事と思います。
 いままでポリエチレン製のシーカヤックを少し軽く見ていましたが、50kgほどの荷物を積み、石だらけの浜を引きずったりなど、丈夫なポリ艇だからこそやれたと思います。
 いつもの事ながら日本に帰ってくると、旅の楽しかった事だけ思いだし、又、行きたくなる。アフリカの水を飲んだ者は、かならずアフリカに帰ってくると言う。私にとってアラスカが、そんな地になりそうな気がします。

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