与論島〜奄美大島海峡横断ツアー
04年8月2〜7日

参加者のレポートです。
AKKIEのレポA−Studio
向所さんのJoycome Kayaksいいレポです。
タッキーが社長のここの与論島・沖永良部島・徳之島・奄美大島シーカヤック海峡横断200kの旅でUPしています。
まどかがで連載中の「海で会いましょう」でUPしています。
雑誌「Tarzan」にレポートが掲載されました。


◎はじめに

 昨年の屋久島で行われたスポーツイベントからの帰りのフェリー内で、00〜01年に行った沖縄〜鹿児島単独遠征で漕いだ話をしていた。
 聞いていたパワースポーツのタッキー社長から「与論島あたりで海峡横断ツアーをしないのですか?」とけしかけられた。
 まあ冗談で企画してみよう。おそらく誰も集まらないだろうなと思いつつもHPで募集してみた。
 だが数ヵ月後、なんと定員になってしまったではないか。しかたない、こうなったら覚悟を決めてやるしかない。
 今回の参加者はシーカヤックのエキスパートは1名のみ。ほとんどが数回ツアーに参加した事がある程度だ。タッキーにいたってはパドルすら握った事がない。だが彼はフルトライアスロンで上位に入る体力の持ち主だ。
 数回しかカヤックを漕いだ事のない体の小さな女性もいたが、彼女もフルマラソンでいつも4時間以内で走りきっている。他の参加者もマラソンや他のスポーツの経験者や筋金入りのバックパッカーだ。
 だが今回の遠征ではカヤックの技術(ロールやスィープなど)はほとんど必要としない。大切な事はスタミナと強い精神力、それとチームワークを保とうとする仲間意識だ。
 海峡横断はスタートしたら次の島にたどり着くまで漕ぎつづけなければならない。途中でやめるという事は遭難を意味するのだ。だからこそ体力、精神力を参加者に求めた。そして経験の少ない人にはそれぞれの環境で出来るトレーニングを指導した。

 今回の遠征は参加者もレポを書かれているので、私はナビゲーションなどを中心に書くことにする。

◎メンバー
女性 くみ(マラソンランナー)・千葉(シーカヤッカー)・やすよ(バックパッカー)・まどか(スタッフ)
男性 タッキー(トライアスリート)・向所(シーカヤッカー)・八重尾(サーファー)・BABU(シーカヤッカー)・AKKIE(シーカヤッカー)・野元(隊長)

◎Day1 プロローグ 与論港〜ウドノスビーチ 4km
 まずは与論港に運ばれたシーカヤックをスタート地のウドノスビーチまで漕いで移動する。
 その間に参加者の技術、体力を判断し航海の組み合わせを考える。これがまずやっておかねばならない作業だ。
 その後、海上でのレスキューのトレーニングとカヤック上で人の乗り換えのトレーニングをおこなう。
 これらは転覆したときの対応や、他のカヤックとペースが合わなくなってきたときやアクシデントなどの際に組み合わせを変えるためにも必要な事だ。
 そんなこんなで明日の行程の組み合わせが決めた。

◎Day2 ウドノスビーチ(与論島)〜和泊港(沖永良部島)51.0km
 かりゆしバンドのてっちゃんと美也子ちゃんに見送られてウドノスビーチを後にする。しかも美也子ちゃん手作りのおにぎりを全員に持たせてくれる。美也子ちゃん感謝!!
 天候が怪しいが東側が与論島の影となり見えない。しばらくは展望が利くまで漕ぎ続ける。
 約1時間後に完全に展望できるようになる。東側から伸びる厚い雲が気になる。雷にならないかハラハラだ。
 潮の流れや風は現時点ではそれほど感じないので、沖永良部島近辺の下げ潮を考えて少し東側に進路をとる。
 途中でスコールに遭いホワイトアウトとなる。体が冷やせて気持ちがいい。
 波が出てきだした。くみちゃんが船酔いになるが酔い止めを服薬してもらい何とか和泊港まで頑張ってもらう。コンビのAKKIEが頑張って漕いでくれた。くみちゃんも何回も吐くのだが泣き言を言わず(言ってもどうしようもないのだが)我慢して漕いでくれた。
 知名港の近くは強烈な潮流があり、波も大きく立ち上がっていた。その流れにAKKIE&くみが流されだしたので牽引する。
 だが後からの追い波で我々のカヤックともどもサーフィンを起こし、最後は私のカヤックが絡まったロープに船底から引かれて転覆。これらに備えてすぐ横で待機させていたマドカ&タッキー組みにレスキューをさせる。かなり短い時間で完了できた。ただ目の前をサンダルとオークリーのグラスが流れていったのは悲しかった。
 知名港に上陸して休憩する。心配していたくみちゃんもだいぶ回復したようだ。
 和泊港までわずか12km。だが強烈な向かい潮(早い所では3ノット以上)のため、いくら漕いでも進まない。
 エディ(反流)を探して波打ち際を漕ぎたいのだが、波が高くサーフゾーンとなっているため近づくことは出来ない。仕方がないので力で漕ぎきるしかない。
 予定していた笠石海岸もサーフゾーンとなっていたので上陸はあきらめ、和泊漁港のスロープに上陸。漁協の方に事情を話して港に泊めてもらうことにした。

◎Day3 和泊港〜鹿浦港44.2km
 朝焼けの港を出港。沿岸は相変わらず波が高いので少し沖合いを漕ぐ。
 国頭岬を回る頃には更に波が高くなる。
 上潮なので東からの流れがある。徳之島の東の端に舳先を向け漕ぐ。1〜2ノットの流れがあるようだ。いつもの15分おきの水休憩と55分おきの食事&トイレ休憩をとりながら淡々と漕ぎ進む。
 満潮時間をとっくにすぎているのにいつまでも東からの流れが治まらない。理屈で行けばそろそろ西からの流れに変わるはずなのに東からの流れのままだ。
 卓上で海の勉強しても実際とは違ってくる。海図を見てもここらは尺度が大きすぎて潮の流れはほとんど書かれていない。海底の深度での推測も、やはりスケールが大きすぎてまったく当てにならない。
 GPSの画面と体感、目測(山立て)で流れを推測し(もちろん風も考慮して)自分たちの速度を考えて舳先の角度を決めなければならない。航海中は常にそれの補正だ。
 この日は満潮時から3時間たった頃から流れが変わりだした。GPSの画面上に最短距離の線を引き、それを基準に舳先の方向を決めるのだが西へ1.2km流されていた。満潮時近辺に潮の向きが変わると思っていたのだがなかなか変わらないので修正しつつ鹿浦を目指す。
 徳之島が近くに見え出した頃沖合いから1艇のシーカヤックが。なんと先週まで我が家にいた乾物屋こと八幡くんではないか。
 彼は神奈川の三浦から鹿児島まで漕いできて、その後、沖縄〜鹿児島間を単独で漕いでいる。まさかこんな海原で会えるとは感激だ。
 我々の乗るWFK(ウォーターフィールドカヤックス)と同じメーカーのカヤックでの遠征だ。東シナ海に6艇のWFKが浮かぶ姿を製作者の水野さんが見たら涙流すぜと語り合った。
 徳之島の鹿浦に近づくと潮の流れが変わってきた。今度は南東への流れだ。
 GPSの画面と速度を計算しつつメンバーに目標物の指示を変えてゆく。10〜20mの誤差の範囲でまっすぐ鹿浦港に到着する事が出来た。
 何もない港だがメンバーの疲労を考えてここで野営する事にした。
 夜は地元の漁師さんから魚や夜光貝をたくさんいただく。感激だ。
 夜航跡を確認するとかなりの精度で航海されていた。

◎Day4 鹿浦〜与名間ビーチ(徳之島)25.4km
 今日は島伝いに移動だ。それほどの流れもないのでのんびりと断崖を眺めながらの旅。
 最後のリーフは引き潮だったのでカヤックを降りて歩きながらの上陸だった。

◎Day5 与名間ビーチ(徳之島)〜与路島42.3km
 徳之島北部沿岸に沿って漕ぎ進む。
 直接、江仁屋離を目指そうと予定していたが、天候はあまり良くない。しばらく沿岸に沿って漕ぎ、金見岬に上陸してから判断することにする。
 乾物屋はトンバラ岩で素潜りをしたいとの事でここで別れた。一人でトンバラ岩に向かい漕いで行く後姿が実にたくましくかっこいい。女性陣だけではなく男性陣も見とれていた。
 金見岬近辺は早い潮の流れと波があり珊瑚も出ていた。波のタイミングを見て上陸する。
 難所のトンバラ岩が見える。やはり強い西への流れがあるようだ。ゴールを与路島にするが、舳先は与路島よりもかなり東を目指す事になるだろう。
 天候も回復してきた。気合を入れて漕ぎ出す。
 やはり強い東からの流れがある。金見岬を出て3kmほどで1kmも西へ流されてしまう。
 西へ3ノット以上の流れがあるようだ。気がつけばトンバラ岩がすぐそばまで近づいている。岩の側は更に速い流れになるだろう。
 メンバーには焦らせないように冗談を言いながら、はるか東側の太平洋を目指すように指示する。与路島より30度以上は東に舳先を向ける事になる。
 終了後、メンバーから「野元さんは我々を太平洋に連れてゆくんじゃないのかな」と冗談が出たぐらいだ。
 休憩すると、とたんに3ノットほどの速度で西側(トンバラ岩方向)に流される。最低限の休憩だけで漕ぎ続けてもらう。
 数時間後、なんとかトンバラ岩の引力?からは逃れたが、このあたりは浅い隠れ瀬地帯なのでいやな波が立ち上がっている。その地帯に入るとカヤックの速度は更に落ちる。
 5艇での行動なのでどうしても遅いカヤックに合わせるしかない。そのため全体の速度はどうしても遅くなってしまう。皆で励ましあって漕ぐ。
 与路島が近づくと今度は早い向かい潮となった。漕いでも漕いでも島が近づかない。こうなれば体力と精神力の世界だ。今回参加したメンバーはカヤックの経験は少ないが、メンタル面に関してはとても強い人たちだ。
 やっと与路島の港にたどり着く。区長さんにキャンプの許可を承諾していただく。メンバーは海峡横断を達成した喜びでいっぱいだ。海に飛び込んだり、ビールをあおったり思い思いに堪能していた。
 向所さんがGPSに記録された航跡を見せるとメンバーから声が上がった。
 金見岬から与路島まで見事な放物線を描いていた。
 夜には乾物屋も合流しトンバラ岩の周りの海の中をVTRで見せてもらう。

◎Day6 与路島〜ヤドリ浜(奄美大島)25.4km
 潮の早い海峡は残っているが、これからは沿岸沿いを漕ぐだけだ。
 綺麗な無人島ハンミャ島を過ぎ、請島の島影に入る。
 今日は強烈な向かい風が吹いている。だが対岸のカケロマ島に渡らなければならない。力で漕ぎ進むしかない。
 外海はかなり波が高くなってきていた。遠くに見える岩が真っ白になり波に隠れている。
 メンバーは昨日の海峡横断でかなり力を使い果たしていた。しかも海峡横断は終わったんだとモチベーションもかなり下がっている。このまま外洋に出てカケロマ島の東側を回るのは危険と判断する。
 状況を話し、カケロマ島の諸鈍に上陸して何らかの方法で瀬戸内海峡までカヤックを運び、それから漕ぎ出してヤドリ浜を目指す事に納得してもらう。
 諸鈍で軽トラを借りてカヤックと荷物を生間に運ぶ。私が軽トラに乗ってきたときには笑い声があがる。こんな旅もいいものだ。
 再びカヤックの人となり美しい瀬戸内海峡を漕ぎ進む。対岸のヤドリ浜が輝いていた。そしてこの長い海峡横断を漕ぎきった仲間の顔はそれ以上に輝いていた。
 夜は乾物屋がしとめた魚で大いに盛り上がる。それにしても旨かったなぁ・・・

◎エピローグ ヤドリ浜〜古仁屋港6.2km
 カヤックをフェリーに預けるために、古仁屋まで最後のラストランだ。
 「これで最後かと思うとさびしいね」くみちゃんややすよちゃんが呟く。
 港では船漕ぎ大会が行われていた。我々は邪魔にならないようにスロープ上陸してすべての行動を終了する。
 ここで解散したのだが皆なかなか離れない。一緒にいたいのだ。
 今日帰らなけらばならないBABUやAKKIEを見送るためにバス停に向かう。先に離れた千葉さんを除き皆バス停に集まった。乾物屋も一緒だ。
 そして我々が名瀬に向かうときは、これからの旅が続く乾物屋が見送ってくれた。苦しい旅を一緒に出来ので別れが辛い。
 最後に名瀬の鶏飯屋で飲んで食べて語り合う。鹿児島行きのフェリーの向所、八重尾、マドカと乗り込むが、港ではやすよちゃんとくみちゃんがいつまでも手を振ってくれた。
 さあ次は何処で冒険しようかな。

◎資料 向所さん提供
*少し手直ししてあります
(移動距離/移動時間/移動平均速度/累積移動距離)
8月2日、与論港→与論島(ウドノス浜)
     4.0km/-/-/4.0km
8月3日、与論島(ウドノス浜)→沖永良部島(和泊港)
     51.0km/9h02m/5.6kh/55.0km
8月4日、沖永良部島(和泊港)→徳之島(鹿浦港)
     44.2km/7h55m/5.6kh/99.23km
8月5日、徳之島(鹿浦港)→徳之島(与名間海水浴場)
     25.4km/5h15m/4.8kh/124.73km
8月6日、徳之島(与名間海水浴場)→与路島
     42.3km/8h42m/4.9kh/167.07km
8月7日、与路島→奄美大島(瀬戸内町ヤドリ浜)
     25.4km/5h50m/4.4kh/192.56km
8月8日、ヤドリ浜→古仁屋港
     6.2km/1h00m/6.2kh/198.77km


与論島ウドノスビーチから出発。


スコールが降ってきた。ホワイトアウト。


朝焼けの中徳の島を目指す。


うねりで島が隠れる。


美しい朝だ。だが過酷な一日のはじまりでもある。


海の上でのランチタイム。
マドカ&タッキー


浅くなったリーフ内を歩く。


この笑顔が見たくて漕いできたんだ。
やすよ&くみ


ほんとうに嬉しい!
八重尾&まどか(顔わからず)


もう漕がなくていいんだ。
もう終わりなんだ。
向所&タッキー&BABU


かなり性格も変わりましたねBABU。
後はくみ


乾物屋も加わり総勢11名での記念撮影。
とても暑くて熱い2004年の夏でした。
向かって左からAKKIE・八重尾・乾物屋・千葉・BABU・野元・くみ・タッキー・やすよ・まどか・向所

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